ぱどま堂の日々

小金井市で はりきゅう・アーユルヴェーダ・ヨーガ・インナーチャイルド癒し

懺悔滅罪

 


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こんにちは。ぱどま堂のhottaです。

最近、道元禅師の「修証義」を解説した本を読み直しています。(修証義に学ぶ―禅に生きる五章 (現代教養文庫))

「修証義」は平易な文言を選んでいるとはいえ、やはり内容はとても難しい。でも時々、言葉がストンと心に納まります。併せて解説を細かく読むと、より心に染みてきます。

 

昨日「第2章・懺悔滅罪」の解説を読んでいると、次のような文章がありました。

 

だいぶ前のことですが、近くの総合病院の新進気鋭の外科医が参禅にやってきました。

「医を学ばんとすれば、まず心を学べ。心正しからざれば、医もまた正しからず」

これが、彼自身の口から出た参禅の動機でした。しばらく参禅に通ったある日、彼はこんなことを言い出しました。

「ぼくは、このごろどうも怒りっぽくなりました。昨日も手術の時、準備が悪かったので看護婦をどなりつけ、あとで大人げなかったと反省したんですが・・・・。友人は、坐禅なんかやるからだ、というんです。そういわれてみると、怒りっぽくなったのも坐禅と無関係ではないような気がしますが、そんなことってあるんでしょうか」

そこで私は、「それはあるでしょう」と前置きしてこんな話をしました。

先生は、これまで患者の腹の中はよく診られたことですが、ご自分の心のうちを見ることはなかったでしょう。それが坐禅をはじめて、いままで見ることのなかった自分を見つけるようになりました。

坐禅はいわば心の除草です。庭の草をとりはじめると、いままで気付かなかった小さな草まで見えてきます。庭がきれいになればなるほど、小さな草が気になります。そうすると、わが家の庭だけでなく、となりの庭の草までが気になって、「おれがこんなに努力しているのに、なんだ」ということになり、相手が目下のものとなると、ついどなってしまうのです。

私も軍隊で経験したんですが、入営すると、Kという上等兵殿が戦友で面倒をみてくれました。二等兵の私は上等兵殿に仕えました。よく仕えたと思います。それだけに、立場が逆になって私が新兵の戦友を迎えた時、彼の仕えっぷりが気になるのです。私がK上等兵殿に対した以上につとめてくれれば満足なのですが、どうみても私の二等兵時代には及びもつかない。召集兵ですから止むをえないとは思うものの、つい「この野郎!」という気になるんです。これが「我」というもので、もっとも根強い雑草というよりは毒草で、これをなくするには常に反省懺悔してゆくことが大切なんです。すると、懺悔の力が、やがては百八十度自分を変えてくれるのです。自分が変わるだけでなく、周囲もみな変わってくるのです。先生だけでなく、看護婦さんも変わってくるのです、と話しました。懺悔の功徳というのは、まさにこのようなものです。

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悪人と善人は紙一重。良い事をしていると思っている時ほど、実は後から思い出すと、ぞっとするほど悪い顔してるものです。。。私は独り思い出しては背筋が凍りくこと、よくあります。

でも悪人でも仕方ない。ぞぞっとしても仕方ない。

いい~んです。それは、当たり前の事が、当たり前でなくなるきっかけだもの。

ここから本当の懺悔・・・形ではなく、妥協せず、自己を卑下しない、
真心をこめた懺悔を学べばいい~んです。

そう思えば、イライラしちゃう自分もゆるせるかもしれませんね。